2019年 02月 02日 ( 1 )

胸から取り出したもの

私が運が良かったなと思うのは、小さい頃に受けた心の傷が、致命傷ではなかったということです。そう言えるまで大分長い時間を要しましたし、いろんな人に心をぶつけ傷つけたり、優しさや癒しを求めて夜中まで連絡を欲しがり迷惑を数多くかけてきましたが。

それでも生きているだけ、生きていけているだけ私は幸運でした。
過去に受けた傷は人により様々であると思います。被害の大きさ小ささは勿論あります。だけど人と比べられることではありません。
私は苦しさを抱えていた頃には私より酷い人はいない、居たとしても認めたくない、だって認めてしまえば、「そんな大したことないことでずっと悩んできたの?」と笑い飛ばされてしまって、そんなことで悩んできた自分がちっぽけでくだらなく思えてしまって、本当になんにもなくなってしまうのじゃないか。そう思っていたからです。
私は他人の意見は基本的に拒みました。
自分のことは自分が1番分かっていると思い込みました。
人に縋り、意見を求め、過去の辛い体験を話はするけれど、
それは私に同情だけしてもらって、私の味方で居てもらって、
私のことを大したことないだとかいう評価で裁いて欲しくは
なかったのです。

過去の体験を理解し抱えていくことは容易なことではありません。
他の人が全力で取り掛れることを傷を負った胸で息をして乗り越えていかなければならない、それはスタート地点からハンディを負っているようなものだ。そう思ってきました。実際そう思うことで自分に憐れみを与えることで、大変なことを何とか乗り越えたりしたこともあったかなと思います。
一人一人違う人生、違う生き方、違う世界の見え方だけれど、すぐ目に涙が溜まってしまう、辛い、悲しい、ちゃんとできないことが悔しい、甘えている自分がいやだ、今でもそんな気持ちに心をかき乱されて何にもできなくなる日も正直あります。

だけど完璧に立ち直っていなくても私はこのままでもいいと思ってきました。なぜならここまで生かしてもらえたという、手を繋いでここまで歩かせてくれた人達があるからです。それは親や身の回りの友達ではないときもあります。SNSで出会った人、顔も知らない人、会話もしたことない人の残した何気ない言葉からだったりします。私はそんなことを拾い集め食べ胸にしまい忘れて涙をして、なんとかかんとか、胸に沈んで行った過去が体から貫通して出ていったあとの胸の虚しさを埋めてきました。

生きてきただけで恐らく私は役に立てることがあると思っています。だから、私は専門家でもないけれど、私に話すと安心するな、ほっとするな、話したいなと思ってくれるのであれば、いつでも声をかけて欲しいなと思っています。
朝なのでまとまりがない文書ですが、そんな感じで。

by otyou0710 | 2019-02-02 08:51 | 雑記

 icon作成/岡中様☆


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