2019年 04月 07日
昔作ってた小説1
どこかの国
一.
民から吸い上げた税を湯水のように使い、国教に背く限りの
行為をしたという罪で、私と我が王妃は、明日の朝日を迎える前に
この世からの存在を断つことを、怒り狂う民衆に言い渡された。民の手に
手伝わせるより、自らの人生に終止符を打ちたいと願った私は、王妃に
それを打ち明け、自らの手で自分を殺めることにした。まだ今日という日は
夕暮れに差し掛かったばかりであったので、私は私の王宮の壁に、
赤土で作った絵の具で絵を遺すことにした。
私が生きたことの証しとして遺す、数少ない一つになるであろう
この壁絵は恐らく、明日の朝、私の躯が民衆らの視線にさらすために
引きずり出されたあと、王宮ごと破壊し尽くされるであろう事は解っていた。
私が民の為に作った公共施設など、一つもなかったから、この王宮が壊されれば、
私が遺すものなど、形としては実質何も無くなり、王国を統治した中でも最も悪名
高い王としての名だけを後世に遺してゆくだけなのだろう。
それも全て解っていた。
だから絵を描くという行為も、民衆に無に還される
のを待つばかりだから、全くの無意味な手のもがきでしか
ないということも解っていた。
さりとて明日を迎えるために沈んでゆく太陽を見つめながら
することなど、今は他に見つけられなかった。 私は私と王妃以外、
家臣も籠姫も誰も居ないこの王宮に差し込む西日の強さに
目を細めながら、赤い土を水に混ぜ溶かしはじめた。
赤い土の絵の具。
我が両手を使い、私は只ひたすらに、古来人が用いた原始的な方法で、
それを真似て、壁に絵を描いた。広い麦畑を見た日。あの頃はまだ若くて、
国を治めることへの希望が胸に宿っていた。
何時から、
火は移ったのだろう。
かがらずとも灯っていたものは、
燃やさずとも燃え続けるものだと、
思っていた。
麦の穂を描いた。
折れたもの。
曲がったもの。
全てに、癖をつけた。
まっすぐなものは、私の知る限りでは、私以外に
見つけられなかったから。
これでいい。
それでいい。
麦はあまりにも醜く、
そして、短い。
穂を描き終えた私は、それを刈る民衆を描いた。
ひとつも真っ直ぐな穂の無い麦畑を、ひたすらに民衆が
刈る絵を描いた。瞳は黒く、髪も黒く、肌は赤い、私の国の
民衆達。
心は白いと信じていたのは、
私だけでは無いだろう。
信じていなければ、私は、あのとき
王妃に出会えなかった。
何故、あの女を妃にしたのだろう。
腕まで赤土に浸って、夢中で壁を撫で回していた手が、その問いに止まった。
何故なのか、私はすぐに答えを出せなかった。解らなかった。だけど解らない
ことで良かった。 この太陽の、あざけるような視線が地平線に閉じたら、
答えに近い戯言を見出すことを欲する自分が、体のままに居ることだけが、
絵を描くうちにざわめき高まってくる興奮の血の中で解ることでしかなかった。
私はひたすら描いた。
死んだ鳩。枯れた泉。焼けつく大地。わが国の神話に出てくる神々も描いた。
描くうちに、描いた対象が不浄に思えて、すべての神々の右手だけ、黒い土を
混ぜた水で染めた。あとでこの王宮へ踏み入るであろう彼等がこの壁絵を見たら、
気味悪がるのだろう。我に返って眺める絵は、絵に見えなかった。
死後のことを思うと可笑しくなって、私は一人含み笑いをした。
隣りの白い壁へ私の手形を叩きつけ、腕につき既に乾いている赤土を
無理矢理壁に擦りつけて、私は絵を描くのをやめた。
二.
太陽が沈んだ後、私は幾つもの効能を期待して作らせた入浴剤を
浴槽に混ぜ、一人湯船に浸かった。誰も居ない風呂へ入るのは産まれて
初めてだった。天井の高すぎる浴室を見上げ、私は何故もっと早くにこの
瞬間を迎えられなかったのかを、時間に責めた。
タイルを這うツタ科の植物が、湯気で湿っている。大きな密林に仕立てた
この風呂場は、私が若い頃、一人の女に執着する事の無かった時代にとっては
珍しく何度も寝た籠姫が好きな場所だった。何度も何度も、この風呂場で
交わった。愛の言葉は彼女へは注げなかった。
今考えても仕方の無いことなので、私はやけに青い水色の湯で
顔と体と髪を洗った。
寝具へ戻るまでの廊下から見える私の国は、もう夜を迎えていて、
いつもは暑いこの国の夜が、今日は少し涼しい風が訪れている。
風は何処へゆくのだろう。
意味のあることは、何なのだろう。
麝香の匂いに包まれた厚いカーテンを何回も開いて行くと、予想
どおり、私の王妃が居た。何度も繰り返した私とのすれ違いという抗争に、もう
疲れ果てているのであろう心の彼女は、ここでもやはり笑わなかった。彼女なりに、
明日この世を去ることへの未練を断ち切ったのだろう、そんな顔をしていた。
もしかしたら、本当に未練は無いのかもしれない。そうだとしたら私も一緒
だった。明日断つことを知らされても、少しも心が動かなかったことに、私は
ためらった。それを王妃に話したとき、王妃もその形のよい眉をひとつも
動かさなかった。只一言、「そう」と言った。
この顔は、変わらなかったかもしれない。
上り詰める絶頂の波は、他の女と味わっても一緒だったが、
彼女だけは、一人でそれに浸る事をせずに、合わせることができた。
だからこそ、結ばれ、契ったのかもしれない。だが、結ばれた理由、
一緒に離れない理由、それが、一国の妃だから、好きだから、嫌いだから、
それはもう、本当にどうでもよかった。
始まろうとしている。
始めようと思った。
三.
体の血が、彼女を欲しがっている。
これを冷ますときが、私の最期、彼女の最期を飾ることに
変わりはないだろう。彼女もそれを考えていたらしく、私に二つの
拳銃を差し出した。
「拳銃を二つ貰ったわ。民衆から与えられた銃弾と銃なんだけれど」
と、彼女は言った。「最期を飾るのに、誰から貰った運命で命を絶つかは、
さして重要なことじゃないわよね?」
「そうだね」
私は両方の銃に弾を一つずつ込めた。そして片方を王妃に渡した。
彼女はもうガウンをとってしまっていて、腕を伸ばし私から拳銃を受け取った。
「ずっとこめかみに当てていましょうね。自分の絶頂を迎えたら、引くのよ」
含み笑いをして言う彼女を、欲望が左手で捕まえた。
どうしてそんなにおしゃべりなのだろう。
誰が?話しているのだろう。
息は途絶えてはいなかった。
聞こえない。
言葉が枯れた。
愛しい体に、雨を降らせた。
地上からも雨が降った。
何度も、突いた。
何度も、締めた。
まだ白くならない。
朝もまだ来ない。
「あなた、こうして私と朝を迎えるのが」
息が絶え絶えになっている彼女が、ふと目を開き
ささやいた。
「 」
言葉が耳に入らない。
朝日が目を射った。
彼女が果てた。
私も、果てた。