60%の俗物

私の父親の妹のことを、母は「先生」と呼ぶ。
祖母(私の父親の母)が神主のような祈祷師のような教祖をしていて
信者も何百人もいたのだが、祖母が亡くなったあと、父親の妹が
その仕事?を引き継いだからである。

祖母宅は30畳くらいの広さの部屋に祭壇が設けてあり、
神社のように祭事を行ったり、信者の悩みや困りごとを、
どうすればいいか神に伺う仕事を行っていた。
父親の妹も、現在ほぼ同じことを行っている。

祖母も先生と呼ばれていて、私は「先生の唯一の女孫」として
信者の方に何かあればヨイショされていた。それは子供心に
悪い気はしなかった。自尊心が満たされ、大人に接するように
子どもの私に大人たちが接してくるのは気持ちが良かった。

祖母の孫だということを抜いたら、ただの頭の悪い子どもでしか
なかったのだが、小さい頃の私は自分が特別な人間だと信じていた。

お正月に祖母が泊まりにきても、信者の方からの
助けて欲しいという電話はいつも鳴り止まなかった。
携帯の無い時代、電話線を引っこ抜いていてもどうにかこうにか
人づてに信者の方の頼みごとは昼夜問わずにやってきた。
そのたびにお伺いを立てる祖母。
孫の私には、神様の仕事は辛いというようなことも
こぼしていた。

こんな人を祖母に持つ私だったけれど、
私には本当に神様がいるのかどうか、正直わからない。
信じている率は、半分より若干多い60%くらいだ。

祖母から神様にまつわるお話やおまじないを沢山教わったが、
聞こえないし見えないものを信じるということは、本当に難しい。
死んだこともないから死後の世界があるのかも知らないし、
悪徳商法のような宗教団体の話題を見ると、宗教に携わる家系の
私ですら、嘘っぱちを眺める目でドン引きしてしまう。

でもここまで入院や怪我ひとつなく生きてこられたのは、
神様が守ってくれていたからなのかなとも思うし、そう思うと
すっごいありがたいのだけど、じゃあなんで神様の声が聞こえる人と
聞こえない人がいるのか、不公平だしそんな特殊能力を備えた人間
ってありえるんだろうか?むしろ居ていいわけ?とも思ってしまう。

まして、父親の妹のように、祖母から受け継ぐ形で神様の
仕事をやっていても、神様の言葉が聞こえるようになるのって
なんかおかしくないだろうか?
疑い深い私は、嘘くせー!と心では非難轟々である。

そんな私の母親は、毎回、祖母宅に行き、父の妹の取り行う祭事を
手伝い、父の妹によるお伺いで神様のお言葉を「いただいた」と
いって帰って来る。


神様のお言葉って、そんな簡単に毎回聞こえるものなんだろうか。
「今日は調子悪くて聞こえなかった」とか、そんなことが起こるのが
人間なんじゃないかと思うんだけど、母親は毎回、「今日もお言葉を
いただいた!」といって喜んで帰ってくる。

なんかそこらへんが、父親の妹さんが、毎回神様からのお言葉を
いただいたと言っておかないと、「祖母より祈祷の力が弱い」だとか、
「本当は聞こえていないんじゃないか」だとか信者の方に思われない
ように毎回言葉をいただいたと言ってるだけんじゃないかと、
思ってしまうのである。


だって、人間には平等に能力が与えられていると思っていたいでは
ないか。特殊能力で人よりはじめから秀でている人生が与えられて
いる人間なんて、そもそも存在が許されていいのだろうか。

人は誰でも、「努力で何とかなるものだ」と思っていたい。
努力は人を裏切らないのだから。うん、そうだ。実際そうだ。

でも実際人間に平等なことってないし(足が速いとか泳ぐの速いとか)、
もしかしたらそんな感じで、神様の声聞こえるって能力ってのもあるの
かもしれない。

野球が好きなだけでは、野球が上手い人を抑えてプロになるのは
難しいように、努力だけじゃなんとかならない世界っていうのも、
実際に存在しているのかもしれない。

野球の世界には、努力で入った人と、努力なしで入った能力者と、
努力ありで入った能力者が入り混じっているんだろう。

能力持ちが努力したら、能力なしは一生追いつけないのかも
しれない。別に追いつく必要ないのかもだけど。

話が逸れた。

私は能力者(と仮定する)祖母と身近で接してきた人間だけれど、
神様の声が聞こえる能力持ちではないし、かなり疑い深いので、
母親や父親のように、諸手上げて「神様100%いらっしゃる、
だから心から信じています」とはどうしてもなれない。
100%信じていると、考えることや疑問を持たないんだと思うけど、
なんかそれってやばい気がしてしまうから。


宗教に限らずだけど、なんにも考えずに100%疑いもなく
信じられる人って、どんだけ心が強いんだろう。或いはどんだけ
心が弱いんだろう。或いはどんだけ考えなしなのか?
或いはどんだけ・・・。疑ったらキリがないくらい、私には
理解できない存在だ。

私には無理。旦那のことでさえ、100%信じていない節がある。
どこかで私のことはそこまで好きじゃないだろうと思ってしまっているし、
もっと私より彼にベストな人がいたんだろうなとか思ってしまうから。
親友なんて存在いるわけがないし、どっかでみんな自分しか正しいと
思っていない部分あるんだろうな~とか思ってしまうから。
あーだからマンガのワンピースが苦手なのかな私。
信頼系じゃんあれも。って関係ないか。


1つ思い出したが、南無阿弥陀仏という言葉は、なーんも疑いなく、
阿弥陀様に一切任せまっせー信じてまっせーという言葉らしい。
阿弥陀様が、「死んだらあんたらの極楽行きは俺が保障するから、
まかしとき! だからこの南無阿弥陀仏という言葉を何の迷いもなく
100%信じておくんやでー?」みたいな、なんかそんな話だった。


この言葉が出来るまでの経緯は、確かこうだ。
阿弥陀様が地獄に落ちまくりの私達の叫びを聞いて可哀相に思って
なんとかしてくださいよ~と天界に数千年かけてかけあってくれた結果、
ようやく阿弥陀様の名に免じて極楽行きのOKが出た。
阿弥陀様を信じている人間は極楽にいけるようになった。
極楽行きは阿弥陀様が請け負ってくれている決定事項となった。

ということで、その阿弥陀様の慈悲深さにありがたやーーと感謝して
一切お頼み申しますーと唱えるのが南無阿弥陀仏という言葉らしい。


100%一切をゆだねますと真剣に信じれないと、極楽には行けないそう
なので、「極楽の道は信じれば簡単につながるのに、信じれないが故に
遠く閉ざされているのが極楽への道なのだよ・・・」と、相変わらず日々地獄に
落ちまくりの 人間を見て、神様は嘆いているそうである。


この話を聞いてもやっぱりピンとこない私なのである。

私にも、いつか100%信じれるものって、出来るんだろうか。
宗教関係なく、100%信じれることがあるのは、羨ましい気もする。


私は神様の声の聞こえる能力持ちではないけれど、信仰を持つ
きっかけやチャンスを貰っていた家系であることは間違いないので、
あとは100%信じられるように努力はしていきたいなと思っている。

なんかそうじゃないと、祖母や、父や、母や、父の妹の人生を
全否定している気がして怖いから。

100%信じている人達に、真っ向から「そんなのあるわけないよ!」と
否定できるほど、私も100%神様がいないと確信しているわけではないので・・・。

だから今のところ、私は60%だ。
不真面目だし疑い深いけれど、一応関わりは持っていたくて
持っている。保険みたいなもんだ。
こんなんで極楽行けると思えないが・・・


たまに神様って全否定したくもなるけどね。
だって全否定したほうが、100%信じるているのと同じように、
考えなくて疑わなくて済むし。

心の針の揺れ加減、さじ加減が、いつも難しい。
私一人で生きているわけじゃないから、色んなものを加味して考えている
つもりだけれど、だけどやっぱり100%盲目信者の母とは、ウマが合わない。
100%の人と接すると疲れる。
私は俗物だ。




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by otyou0710 | 2014-04-14 00:07 | 雑記

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