托す

ブログに取りとめもない事や時事ネタ、近況や思考に至るまであれやこれやと
書き続けて10年くらい経った。ホームページを立ち上げた頃から数えるともっとだ。

「何で人に(考えてることを)見せようと思うのか」 
「そんなの自己満足でしかないでしょう」
と言われることがある。
私も、ここを見に来てくれる人の数は限られているのだし、まして影響力のある
芸能人でもないのだから、個人のブログは自己満足の範囲を出ないものなのだな
と思っている。

今までは一応回答として、
「私は表現者だから何か残したくなってしまうのだ、書くのも1つの表現だ」という
返答をしていた。私の言いたい全ての気持ちを代弁してくれる回答ではないけれど、
この言葉は今でも私の心をかすってくれている回答だと思っている。

 けれどもつい最近、というかさっきなんだけど、私はふと
誰かに何かを(自分の意思を)託そうとしているのかなと思うようになってきた。


 年齢の影響も少なからずあるのかもしれないけれど、自分のためにと
思って自分を消耗し続けて発信していたものが、誰かに私を託すために
自分を消耗して、あわよくば世の中に残ろうと変化したように思う。

変化に気づいたのはつい最近だけれど、誰かを通じて私を託そうと
しているのは数年前から始まっていたような気がする。


 私は学校の先生ではないから、授業でこれからを担う若い世代に直接物事を
教えられる立場ではないので、普通なら何らかの意思を伝えられる可能性は
とても低い。特に立派な立場を得ているわけでもない、偉業を成し遂げたわけでも
なし、一般でいう主婦のカテゴリに属しているだけの、ごくごくフツーーーな私が
真剣に何かを聞いてもらえる場所なんて、早々ないだろう。

 ここを見に着てくれている人は、別に人生変えたくて来てくれているわけでも
ないけれど、わざわざ見に来てくれるということは、退屈しのぎでも、なんかちょっと
楽しいとか面白いとか思って来てくれているのかなぁと、私は常に期待していた
気がする。

 自分の意見を、そんな人達に、全てではなくても、1%くらい伝えれる
可能性があるのって、0と1くらい全然違うものだ。全くナシかも、より、
もしかしたらって思える方が楽しいものだし。

 だからブログとかホームページにアクセスカウンターとかつけて、
自分以外の誰かが見てくれている可能性に期待してワクワクして、
もしかしたら自分の言ったことに共感して貰えるんじゃないかと思って、
ナンダカンダと話題を見つけ出しては書いてきたんではなかろうかと思う。

関係ないかもしれんけど、
「俺みたいなヤサグレモノになっちゃいけないヨ・・・」だなんて嗤(わら)っている
世捨て人風な人も、多分だけど、ヤサグレモノの自分を教科書にして、見てくれる
人に自分をちょっとでも託しているんじゃないんだろうかと思う。

 人ってやっぱりどこか記憶に残りたいし、華々しい何かにちょっとでも
関わりたいところってあるんじゃないだろうか。私はミーハーだし目立つことも
大好きだし(ネット上に限る話だけど!)、特にそう思って来た気がする。
自分が何かスゴイ可能性や運命に関わっていたい部分って、
どっかにないだろうか。

株買う人も、そんな感じでいい具合の会社に乗っかってくものなんでしょ?
自分の分身である幾らかのお金を、その会社に託して。
ってそれはまた違うのかな?


私はここを読んでくれている若い世代の人や同じ世代の人や上の人、
全ての人に自分の考えの幾分かを託していたい。そうしてその人達が
自分の表現や行きつきたいところに行き着いた時に、「この人と知り合いだった!」
みたいな感じで関わっていたい。たとえネットで顔が見えない間柄だとしても、
ミーハー根性で乗っかっていく為に、ここを読んでくれる全ての人に
私を託していきたい。

私から何か持っていけるものがあるのなら、遠慮なく切り取って持っていってください。
そして何か偉業を成し遂げたとき、私をそこにちょっとでいいからぶら下げて
おいてくれ!

ザ・まさに一蓮托生。


そんな他力本願な記事で〆たいと思いますwww






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by otyou0710 | 2013-05-25 13:56 | 雑記

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