今朝方隣の家で飼っていた犬が、歳で亡くなりました。
私が小学生5年生の頃から隣で飼い始めた犬で、白と黒の、雄犬で。
パンをあげることが多かったからパン以外のものが本当は好きだったのかも知れないけど、
私たちがサンダルで隣の家のジャリ石を音を立てながら歩いていくと、その音を聞いて
ガレージから顔を出して、何か私たちが手に食べ物を持っていたら、すごい喜んでいました。
喜んでくれるのがすごい嬉しかった。

賢くて気高い犬で、ぐったり横になって寝ている姿を一度も見たことがなかったし、
同じ場所で飼っている伝書鳩を怖がらせたりすることもなく、共同生活しているみたいでした。

私が何か仕事や日常のことで上手くいかなくて泣きたくなって、会いにいったら、飛びついたり
して来ないで静かに私のなすがままにされてました。しょっちゅう泣きにいったなぁ。困ってたかも
しれない。

隣の家で飼っている犬だから、手を出せる範囲は限られている。
倫理的にはそんなロジックが成り立つし、それが人間社会で互いを尊重し合うルールだけど、
何かしたいと思うのに、何も出来ない。こういうときに感じるものを無力感というのでしょうか。
それともいくじなしというのでしょうか。

犬の言葉が判らないから私には勝手な想像がつくことがあります。
ずっと鎖につながれていてかわいそうだとか、1日散歩にしか行けない生活を何十年もするのは
かわいそうだとか、家がこんなに狭い硬い、見栄えの悪い木でいいのかとか、水にしろ食べ物にしろ
もっといいものを食べたいんじゃないんだろうかとか、お湯浴びたいんじゃないかとか。
人間の気分の解釈で犬の言葉を理解してるような気分になるしかない。

だから上記や下記の解釈は独りよがりな私の解釈にしかすぎないけれど、
犬には犬の気高さと世界があって犬には見える世界や香りや音があって、だから人間から見て
見栄えの悪い家に住んでいても人間から見ると酷い状態で飼われているように思えても、犬にとって
もっとなにか、私たちの想像もつかないような、言葉にも表せないようなものがあるのかもしれないと
思いました。もしかしたらそういうのもないのかもしれない、全くわからないけれど。

要は、とってもさみしいです。


※5.18追記

 本日荼毘に付したそうです。昨日は雨、暑くなくこの日を迎えられたことと思います。
 今日は空も高くていい天気だよ。
 あなたの声のしない台所へ立つのは変な感じだけど、そのうち慣れるでしょう。
 安心して行ってください。
 さようなら。
 今まで本当にありがとう。
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by otyou0710 | 2009-05-17 14:02 | 雑記

 icon作成/岡中様☆


by otyou0710